写真について 沸騰篇 第七回

写真について 沸騰篇 第七回

僕は、シンセを手にいれてから、これまで、3枚のアルバムを作った。
昨夜、2枚目のスーパーノバに収録した曲たちを触りだけ聞き直して、下手くそだな、と思ったのだが、想像以上に、アンビエントミュージックの感じがあって、そうか、僕の初期三部作(と勝手に命名している)はアンビエントへと向かう道だったのだな、と納得した。
僕は、やはり、3枚目のアルバムが最高傑作だと思っているし、この1枚で音楽をやめても悔いは残らないだろうな、と思っている。

3枚目のアルバム、デイ、は、アンビエントミュージックを強く意識して制作した。
そこには、風景=背景だけがあって、主となるものはない。
すなわち、ここに、曲を奏でる僕=演奏者はいない。
僕は、このアルバムで、背景だけを用意して、後は、聞き手である「あなた」がいればいい、と思っている。
僕は、ただ、あなたはあなただ、と音楽で言って、あなたはあなたであればいい、と伝えたかった。
僕にとって、アンビエントとは、そのようなものでしかないのだが、ここで主役となるのは、すでに音楽ですらなく、音楽を聞く「あなた」なのである。

だから、僕は、ただ心地いい曲を目指さず、耳障りなところ(ノイズなど)を出している。
だって、あなたは決して、いい人なだけではないのだから。
あなたは、あなたのイヤな部分も知っている。
それ(ノイズ)を含めないあなたを、僕はやりたいとは思っていない。
あなたには、イヤな部分もある、でも、いい部分もきちんとある、ということを伝えたかった。

背景を目の前にして、どのような自分であるべきか、僕はあなたに規定しない。
ただ、そこには、雨音があり、虫の囀りがあるばかりである。
そして、ちょっとの電子音たちが、添えられてある。
そこでは、電子音が際立つことはなく、雨音などの背景と同様に、僕は扱ったつもりだ。
僕は、バックグラウンド=背景=舞台=現世界を用意すればいいのであって、架空の世界=絵空事=ファンタジー=エンターテインメントをやりたいとは一切、思わなかった。

それを音楽と言っていいのか、僕には分からない。
これはもしかしたら、音楽ではないのかも知れない。
僕は、ただ、背景=バックボーン=舞台を用意しているだけなのだ。
この感覚は、今でもあまり変わらない。
そして、「これ」を望む人はどれほどいるのか、いないのではないか、と感じて、暗澹たる気持ちになり、虚しくなって、音楽やめようかな、と思う日々である。

近頃、ツインさんの曲を聞いているが、ああ、ツインさんの音楽性は僕に近いなぁ、と感じる。
ああ、ツインさんの曲がすでにあるのだから、僕は何もしなくてもいいな、とも思う。
ツインさんがどれほどの音楽家で、どれほどの評価を世間で受けているのか、僕は無知なので知らないが、もしかしたら、ツインさんの曲を聞いている多くの人たちが、僕とは違う聞こえ方をしているかも知れないな、と思う時がある。

僕は、別に音楽が特別に好きなわけではないし、憧れがあるわけでもない。
何故だか知らないが、僕の中で、音楽らしきものがあっただけのことである。
それが、シンセサイザーとあいまって、表出したに過ぎない。
僕は別に、テクノ(電子音楽)が特別に好きなわけではないし、ツインさんだって、友人に薦められて、聞くようになったぐらいで、アンビエントミュージックだとて、それまで意識したことはなく、3枚目のアルバムを制作する過程で、参考にするために、ブライアンさんのアルバムを何枚か、YouTubeで聞いたぐらいの人間なのだ。
僕は、自分でも知らないうちに、そういう曲を作る人になっていただけのことであった。

僕にとって、音楽とは、そういうものなのだから、あまり悩まないし、ただ、自分の中にあるものを出しているに過ぎない。