近頃、仕事での撮影で褒められるようになってきた

近頃、仕事での撮影で褒められるようになってきた。

昨日の運動会の撮影では、学校の先生方から、熱心に撮影してもらってありがたい、とか、子供の扱いに慣れていますね、とか言われた。
僕は、あまり他人から褒められた覚えがないから、いまいちピンとこないし、別に熱心に撮影しているつもりも、子供に慣れているつもりもないから、ああ、そう見えているのかな、と思うばかりである。

僕は、熱心に撮影しているのではなく、手を抜いていないだけのことだ。
子供に限らず、仕事で人を撮影する時は、笑顔の方がいいから、相手が笑顔になってくれるように、こちらから仕向けようとしているだけのことである。

例えば、昨日で言えば、まず始めに、僕は、撮影する学年のクラスがどこにいるのか、確認しながら、声をかけて、運動会が始める前に、生徒たちを一通り撮影した。
これは、挨拶みたいなもので、やはり、人は挨拶をされると、少しは心を許すものだと思う。
ああ、今日はこの人が撮影をするんだな、と相手に認識をしてもらう。

どちらにしても、まったく知らない他人に撮影されることには違いない。まったく知らない他人に撮られるということは、それだけ緊張する、ということだ。
知らない、ということには、不安がある。
だから、ちょっとでもこちらのことを知ってもらう必要があるし、知らなくてもいいことは知ってもらう必要がない。
このカメラマンは自分たちに危害を加える人ではないのだな、ということ、このカメラマンが撮りたいのは自分たちの笑顔なんだな、ということ、それだけを知ってもらえば十分なのだ。

まず始めに、三つのクラスを撮影したのだが、一つのクラスの生徒たちのテンションが低かった。
顔を隠す生徒もいた。
仕方がないな、と思って、とりあえずは撮るし、顔を隠す生徒は無理に撮ることはなく、その場をあとにして、テンションが上がる時、応援して盛り上がる時が来るのを、黙って待っていた。
そうしたら、午後のリレーの応援で盛り上がっていたので、パッとその場に近寄って、何枚か撮影をしておいた。

結婚式でもそうなのだが、相手が緊張している場合は、緊張がほぐれる時を待つしかない。
僕は、あまり、撮影の為に、緊張を解そうとトークはしない。
そういうトークは、その場の撮影の為ではなく、営業トークみたいなものだ。
新郎新婦が、そういう話をしたがっているな、と感じたから、相手に合わせているだけで、挙式前でガチガチに緊張したお二人の表情が解れるなんてことはない。
挙式が済めば、緊張は解れてくるものだと、僕は知っている。
披露宴のどこかで、緊張が解れて、結婚式に慣れてきて、自然な笑顔になったら、撮影をすればいい。
結果よかった、というアルバムにすればいいのだから、最初は、被写体の緊張や不安が伺えてしまう写真でも構わない。
もちろん、緊張や不安を煽ったりはしないし、強調した写真なんて撮らないけど。

スタッフ側のこちらがするべきことは、こちらに任せておけば大丈夫ですよ、ということを、態度でお客様に示し続けること。
笑顔でいればいい。
しかし、それが難しかったりするんだけどね、こちらに余裕がないと。

僕は、昨日でも、結婚式でも、必要以上に話しながら撮影はしない。
まず、こちらの笑顔を相手に晒す。
こちらを向いてくださいと声をかける。
左手で手を降ったり、ピースサインをする。
笑顔で、とか、イエーイ、とか、そういう言葉を連呼しながら連写する。
それだけのことしかしない。
それだけで相手には撮影に必要なことは伝わる。
ある意味では、こちらはディズニーランドのミッキーマウスになっている。
理想は、ミッキーマウスになってしまえばいい。
そうすれば、相手は無条件で喜んで笑顔になってくれる。
ミッキーマウスは話さない。動くだけだ。
貴方たちはお客様で、こちらはお客様に喜んでもらえるようにしていますよ、と伝われば、だいたい、相手は悪い気はしないものだと思う。
こちらは何も、相手の不幸を撮っているわけではない。葬式の写真とは違う。
ハレを撮影しているのだから、相手にとって、今日という一日は、喜ばしき、特別な日なのだ。
だったら、笑顔を撮ればいいのだし、喜びを撮ればいい。
相手はそれを待っている。
すでに、そういう状態になっている。
こちらは、相手が一歩踏み込んでくれるように、仕向ければいいだけのことなのだ。