昨日は、遠方の運動会の撮影で、朝四時起きだった

昨日は、遠方の運動会の撮影で、朝四時起きだった。
そして、今日も、朝の四時に起きてしまった。

昨日は、四時起きで、地下鉄の始発に乗らないと、時間に間に合わなかったのだが、無事に起きれたのでよかった。
アラームの音が大きい目覚まし時計を買って、この日に備えた甲斐があった。

運動会の撮影自体は、今回は、販売はせず、卒業アルバム用に使う写真なので、実質、10枚ほど使える写真を取ればよかった。
しかし、終わってみると、750枚以上撮影していた。
本来であれば、200枚ほど撮影しておけばいい撮影ではあるのだが、よりいい写真を撮りたいと思って撮影をしていると、どうしても枚数が多くなる。
撮れないよりかは、多く撮っておいた方がいいし、撮影自体はほとんど問題がなかったので、よかった。

帰り道、最寄りの駅まで、写真館の社長の息子さんのお嫁さんに車で送ってもらった。
そこで、撮影に関して、あれこれと話していた。
僕は、撮影が終わって、かなりテンションが上がっていたので、普段よりもおしゃべりになっていた。
だいたいいつも、仕事の撮影が終わると、テンションが上がる。
気持ちよくなる。

お嫁さんは、普段は、家事育児に専念しているようだが、人手が足りない時に、学校の行事などのスナップをやっているようで、息子さんは、お嫁さんに、写真の勉強を勧めているらしい。
お嫁さんがカメラのオート設定で撮ることに難色を示しているという話だった。
つまり、マニュアル設定で、絞りとシャッタースピードと感度を自分でいじりながら撮影しないと写真が上達しないぞ、と言っているのだが、僕は、お嫁さんの立場なら、オートで問題があるように思わなかったので、オートで撮ればいいんじゃないですか、と伝えておいた。
写真の素人が、人手が足りない時に、運動会などのスナップを撮るのなら、オートの方が無難だろう、と考えるからだ。

僕は、仕事の撮影の時は、マニュアルで撮影をしている。
その理由は、オートでは融通が効かないからだ。
何か問題があった時に、すぐに対応して撮影できるようにするなら、オートでは心持ちない。
それと、反射光式の測光の場合、測光するポイントの色によって、画像の濃度が異なるので、オートに頼ると、仕上がりの濃度にムラが生じやすくなる。
あとでアルバムなどにまとめて、編集する際に、濃度の補正をかけて、組写真の濃度を一定にする必要がある。出来るだけ、撮影の段階で、補正の手間を省けるようにするという理由もある。

オートは、カメラによって、個体差が生じるのではないだろうか。
カメラのクセというものがある。
使い慣れたカメラならば、そういうクセが身に沁みて分かっているものだろうけど、使い慣れていないカメラを借りて撮影する場合、オートでの仕上がりに不安がある。
マニュアルでの撮影が出来るということは、絞りとシャッタースピードと感度の関連性が分かっている、ということで、デジカメの液晶モニターで確認しながら、微調整がしやすい。

プロカメラマンは、それぐらいのことをしながら、撮影をしているものだが、それを素人に求めるのは、無理がある、と僕は思っている。
マニュアルでの撮影が出来るようになるには、写真の仕組みを分かっていなければならない。
からしたら、写真の仕組み(カメラの機能的なことではなく)が難しいとは思わないけど、仕組みを理解するということは、どんな仕組みであろうとも、理解するまでには時間がかかるものだろう。

プロカメラマンがマニュアル設定で撮影をするのには、それなりの理由がある。それは、どんな現場、ある程度のトラブルでも臨機応変に対応できるようにする為である。
それを可能にするのは、場慣れしかあるまい。

こんなことは、初歩の初歩で、重要なのは、お客様が喜ぶ写真をコンスタントに撮影出来ることである。
僕は、婚礼を主に撮影している。
そこで重要なのは、求められる写真が体に染み込んで、考えるよりも前に撮影出来る反射神経と、リラックスして撮影出来る余裕であろう。
どちらも、すぐに出来るようにはならない。
少なくても数年は必要だろう。