続・写真について 第十三回

続・写真について 第十三回

何だか、最適化する為に、このシリーズに取り組んでいるみたいだ。

僕の頭は、沸騰したように、様々な想念、主に苛立ちが、止めどなく溢れてきて、このやり場のなさから、文章で書きなぐっているような状態が、まだ続きそうであった。

次回からは、沸騰篇、ということにして、写真について、というシリーズは、三部作になりそうな気配がしている。
というわけで、二部のまとめと、全体の流れを整理して、書き留めようかと思う。

一部である、写真について、は、ポートフォリオを作り終えて、僕が撮影で感じたことを、ハイデガーの、存在と時間、を読んで影響を受けながら、まとめたものであった。
これは、平たく言ってしまえば、写真と存在を巡るエッセーであり、具体的な読者は想定していなかった。
感性を言葉で再構築する、という目的で行った。

そうしたら、どのような関連があるのか分からないが、僕の友人二人が、インスタグラムを始めて、僕のアカウントをフォローし、iPhoneのカメラで撮影して、写真をアップし始めた。
男の友人は、僕のブログを欠かさずに読んでいることが分かっていたし、ちょこちょこと僕があげたコンデジで写真を撮ってネットにアップしているので、さして驚きはしなかったのだが、女の友人がこのタイミングでインスタグラムを始めるとは思っていなかったし、まさか、僕のブログを今でも読んでいるとは思っていなかったので、かなり驚いたのと同時に、ヤバイな、とも思った。
女の友人には、個人的に、写真を教えていた時期があって、どういう理由か、聞かされていないが、多分、飽きて、写真を辞めていた。
それが、どういう風の吹き回しか、写真を再開させたのは、喜ばしいことなのだが、もし、再開させたきっかけが、僕の、写真について、だったらとしたら、問題が出て来るな、と予想したからである。
それぐらいには、僕は、自分の発言や文章に責任を持っているのが、もし、友人たちが、僕の、あのシリーズに触発されて、新たに写真を始めたとしたら、あれは、無理なのだ。
あれは、言ってしまえば、高度なのである。

それで、僕は、写真について、の続編を書くことにした。
それが、続・写真について、である。
ここでは、読者は、友人二人を想定していて、自分の好きなように撮ればいいのだ、ということを強調していたのだが、書き進めて行く内に、僕の中で、そうではない、という部分が出て来て、読者であるあなたたちに合わせることが困難になってきたのを感じている。
つまり、僕には僕の問題があり、そこに向かわざる得ないな、という予感がしているのだ。
それは、あなたたちの写真の話ではない。
鵜呑みにするのは勝手なのだが、多分、写真が撮れなくなるか、また、しんどくなるか、どちらにしても、あまりいい影響は与えないだろうから、僕は、こうして、第二部に区切って、まとめに入るのである。

最初の約束通り、あなたたちの名前はここでは出さないし、具体的な写真のあれこれを書くのは控えることにする。
一応、第二部である今回は、あなたたちの写真にある程度、付き合うところから始めたので、それぞれにメッセージを残して、終わろうかと考えた。

まずは、男の友人へ。

写真を撮影する行為は、やはり、健康的で、健全である。
なぜなら、写真を撮るには、引きこもるわけにはいかないからだ。
それと、目で見えていることやものに対する好奇心が(太陽の光、陽射しなども含めて)、心を死なせない。
あなたは、写真に対しての、自分のポジションが分かっているので、写真やカメラとの付き合い方も、自分で決めていけるだろうし、今のところ、楽しく撮影を続けていけるだろう。
あなたは、自分が根暗だと思っているかも知れないが、必ずしも、そうではない。
外界に対して、好奇心が旺盛で、新しいことに取り組みたいと、前向きな姿勢を持っている。
写真のいいところは、写真は基本的に、目で見たものやことを、肯定するところから始めることだ。

そういう意味で、芸術的な意味合いは置いといて、撮影は健康的で、やらないよりかは、やったほうがいいから、新しいカメラを早く購入して、もっと、写真を楽しんだ方がいい。
決して、あなたが欲しているデジタルカメラは安くはないけど、三万円か、四万円代で、心が死ななくて済むのなら、高くはない。
あなたの身内が、写真サークルで写真をやっているようだし、その点でも、やらないよりかは、やった方が何かといいだろう。

一日でも早くカメラを買った方がいいのは、先日、外で撮影をしていたら、iPhoneが、高温注意、という表示に切り替わって、しばらく、動かなくなったからである。
真夏は、外で思うように、iPhoneのカメラが使えなくなる可能性が高い。
それに、自分が気に入ったカメラの方が絶対に楽しいし、より愛着が湧いてきて、さらには、iPhoneのカメラよりも、写りがきれいだ。
性能だっていい。
iPhoneのカメラの最大の欠点は、自分の両手にフィットしないことである。
僕は、その、フィットしない感じも含めて、iPhoneのカメラと付き合っているが、フィットしないよりかは、フィットした方がいいに決まっている。
カメラは、自分の肉体の一部分のように扱えた方が、いいのである。
だから、この夏は、新しいカメラで、カメラライフに勤しんだらいい。

あなたが、夏になると調子が悪くなる原因の一つに、夏バテがあるのではないか、と僕は思っている。
正確には、夏の強靭な陽射しと暑さに、心と体がついていけない。
夏は、部屋に引きこもっているよりも、外で何かした方が、夏と付き合うには、いいのではないか、と自分に照らし合わせて、僕は考えている。
汗を流した方がいいし、日に焼けた方がいいし、動いた方がいい。
無理はしない程度に、そうやった方が、気は滅入らないのではないだろうか。

女の友人へ(二人ともそうだけど、友人ならば、たまにはそちらから電話をしてきたらよさそうなものだ。僕は寂しい)。

写真を教えていた時期があるけど、今の僕が他人に写真で教えることはほとんどないから、自分の好きなように、写真を撮ればいいし、嫌になったら、辞めればいいだろう。
僕は、写真撮影のテクニックを教えるつもりはないし、必要だと思われる思想は、すでに伝えてある。
僕は、男の友人に、写真を教えたつもりはないのだけど、あなたに写真を教えていることで、写真に興味を持って、勝手に写真を始めて、写真を楽しんでいる。
あなたがインスタグラムにアップした写真たちを見て、何も感じないわけではないのだけど、僕はあなたの先生ではないのだから、それを伝える必要はないだろう。

二人の写真を比較した時に、男の友人の方が、あなたよりも、写真が上手い。
しかし、上手い、ということによる作品に関する弊害がないわけではないし、あなたの写真に、面白みがないわけではない。
ただ、あなたの写真は、万人には分かりにくいだろう。
すなわち、あなたは、他人には伝わりにくい複雑さを抱えていて、それが写真の前面に出ている、ということである。
僕は、この複雑さをあれこれ言うつもりはないので、見て見ないフリをしているのだが、あなたはとても疲弊していて、これは必ずしも、ドメスティックなものやことだけではないだろう、ということぐらい、写真を見れば感じられる。

あなたが写真でやりたいことは、実に高度なことで、それは、僕がポートフォリオで取り組んだことに、どちらかといえば、近いのではないか、と感じられるのだが、僕は、僕のポートフォリオのようなものを、他に見たことがないので、多分、他人には真似できないだろう。
僕が、他人に写真で教えることがないのは、教えようがないからだと、気付いたからである。
僕がやっているのは、スタイルではない。
だから、技術もマニュアルも通用しないだろう。

繰り返すが、あなたの写真に面白みがないわけではない。
つまり、あなた自身が、決して、つまらない人間ではない。
自分自身が持っている面白みに、自分自身で気がつければ、写真を撮ることが、今よりかは、辛くなくなるだろう。
この自分の面白みは、世界の面白みと親しいからである。
もし、誰かが、あなたの女の部分ではなく、人間の部分で褒めてくれたならば、それを受け流すのではなく、素直に受け止めればいい。
そこに、あなたの、もののあわれはあるだろう。

テレビアニメは、十三回で終わることが多いので、このシリーズも十三回で終わらせるのは、僕的に、キリがいいので、これが最終回である。