頭が混乱している。

頭が混乱している。

今日は、朝起きして、洗濯、掃除をしてから、美術館に行って、写真集などを見て、知り合いのカメラマンの主催しているグループ写真展を見て、ついでに、そこの美術館で行われていた展覧会を5つほどはしごして、ブックオフに立ち寄って、「小沢征爾さんと、音楽について話をする」(著・村上春樹)を900円で購入、地元のTSUTAYAで、レンタルカードの更新とともに、「GO HONE YMO」(二枚組のベストアルバム、細野晴臣さんが監修)を借りてきて、帰宅して、いくつかのテレビ番組を見ていたら、二時間ほど眠っていた。
起きて、うとうとしながら、部屋で、演奏して録音、サウンドクラウドにアップ。
レンタルしてきたYMOのCDをPS3に取り込んでいる間に、今日、地下鉄で移動している時にiPhoneカオシレーターで演奏してサウンドクラウドにアップした「MOTION」をスピーカーに繋げて聞いていた。
そして、今、YMOの曲を聞きながら、この文章を書いている。

日記風に書き記せば、それだけの一日だったのだけど(細かいディテールは省いているし、集金に立ち寄ったとか、100円ショップに行ったとかあるんだけど、そこまでは書いていられない)、今日一日で、絵画や写真、彫刻なども合わせて、200作品以上は見たんじゃないかな。
さらに、見ている時に、iPhoneサウンドクラウドにアップした曲たちを、イヤホンで聞いていて、疲労とともに、頭がぐるぐるしてきてしまった。
それで帰ればいいのにブックオフに立ち寄って、小沢征爾さんと村上春樹さんの対談の本を見つけたので、この本はずっと興味があったし、中古で安かった(900円出しても読みたい本だった)ので、買って、買ったら中身が気になるので、少し目を通して、とか、頭の中がしっちゃかめっちゃかになってしまっている。
こうして文章を書いているのは、ただ、頭の中のこと外に吐き出してしまいたいからで、そうすると、いくぶんかはすっきりとする。

今日は、現在から過去へ、遡って、回想しながら書いていこう
記憶がしっかり残っているところから、時間と共にだんだん薄れて行く記憶へと。

YMOのCDをテレビで聞きながら(PS3なので、テレビで聞くことになる)、ああ、YouTubeの音質とはぜんぜん違うんだな、と感じた。
昨日は、YouTubeで、YMOの曲を流していたのだが、やはり、デジタルリマスターされたCDの方が、音質が格段にいい。
近所のTSUTAYAで探したら、新しいYMOのアルバムはなく、2011年に販売されたベスト盤はあったのだけど、それも当時のYMOのベスト盤で、本当は、新しいYMOのアルバムを借りたかった。
あと、借りてきた二枚組のベストや、US版のファーストとセカンドのアルバムなどがあって、US版は新品で買っても高くはないので、ベスト盤にしようかな、と思いつつ、iPhoneAmazonに繋いで、レビューを見たら2011年に販売されたベスト盤は選曲に難があるのと、リミックスがよくないらしいので、細野晴臣さんがデジタルリマスターの監修をして、ベスト盤としては申し分のない「GO HOME YMO」を借りてきたのであった。

地下鉄で移動している時に演奏・録音してサウンドクラウドにアップした曲を、部屋のスピーカーにつないで聞いてみたら、おどろくほど音がよくて、自分が思っているよりも、きちんとした曲になっているように感じた。
昨日の夜、アップデートしたサウンドクラウドが起動しなくなって、原因がどうも、iPhoneのOSをアップデートしていないことらしいので、アップデートしたまま、寝たのであった。
そして、今朝、調べてみたら、サウンドクラウドは起動するようになり、カオシレーターサウンドクラウドにアップする昨日も回復したので、さっそく、地下鉄で、演奏してみたのだが、久しぶりのカオシレーター、そもそも、カオシレーターの操作は複雑、というよりか、いろいろとやれることが多くて、演奏していて、いらないところを触ってしまったり、指で操作しているので、タッチミスがあったりしてしまう。
今回、ミュートにしたい音をソロにしてしまったり、音色が決まらなくて、いろいろと変えているところも録音されていたりと、僕の意思とは関係のないところで、演奏が繰り広げられていて(こんなものが演奏と呼べるものなのか、よくわからないが)、部屋で聞き直してみたら、逆に、自分の意思とは離れているからいいのかもしれない、などと思たりもした。
帰宅してから演奏して録音、アップした楽器三台を用いた曲は、楽器の扱いに慣れていてきたから、だんだんと自分のイメージ通りにやれるようになってきていて、そちらがいいのか、それとも、初心者のまぐれがいいのか、よくわからなくなってきている。
また、午前中に、カリンバだけで演奏して録音アップしたのだが、これはこれでいいな、と思うところもある。
たまには、シンプルに、楽器一台で演奏してみないと、いろいろと勘違いしそうなのだ。
シンセサイザーは、慣れてしまえば、敷居は低いようで(敷居の高いシンセもあるだろうけど)、こんな初心者の僕でも、それなりにやれてしまう、それはそれでいいと思うけど、そうだな、音そのものの響きに耳を傾けながら、楽しみながら、演奏してみることも重要な気がしている。
iPhoneシンセサイザーアプリが復活したので、これはこれで演奏していきたい気持ちがあって、やれることが増えるのはいいことだけど、やはり頭が混乱してしまう。
近頃は、どうやら、こうやって、あれこれと演奏してしながら録音してサウンドクラウドにアップして、アップしたものを聞いているのに、ハマっているようだ。
混乱はしているけど、楽しい。
YMOの曲をよく聞いているのは、混乱を避けるためで、こんなふうに演奏して曲ができたらいいな、というものをイメージ出来るようになるための、ある種の訓練でもある。
あんまりいろんなアーティストの曲を聞くと僕は混乱してしまいそうだ。
これは、僕の中で、優先順位をつけているようなもので、当然、YMO至上主義ではないし、僕は熱心なYMOファンでもなく、しかし、ベーシックになるものを頭に入れておかないと、やれることが多いだけに、途中で嫌になって投げ出してしまう恐れがある。
やれることが多いというのは、幸せなことではあるけど、時にそれは煩雑で、めんどくさくなる。
音は音だし、音楽は音楽だろう。
カリンバ一台でも、楽器をいくら重ねても、同じ音楽だろうから、どうしたいかは、演奏する側で決めるしかない。
作り込むことがいいとは限らない。
例えるならば、手間のかかった料理でもお茶漬けご飯でも、料理であることに変わりはないし、要は、腹を満たすこと、楽しく食事をすることだ。

小沢征爾さんと村上春樹さんの対談本は、小林秀雄賞を受賞していて、その賞の審査員の一人が橋本治さんで、橋本治さんはこの本のことを、「よくわからない」と雑誌でコメントしていた。
僕もちょっと読んでみて、具体的にどういうことなのか、よくわからないところが多い。
音楽用語が説明なく出てくるし、クラシック音楽の特定のレコードの特定の演奏を二人で聞きながら、具体的に、演奏について語ったりしていて、本を読んでいるだけのクラシックの素人では、どういう演奏で、どういう指揮で、どういう音なのか、何となく想像するしかない。
カラヤン先生の指揮がどうとか、よくわからない。

美術館のショップに、坂本龍一吉本隆明電子音楽についての対談本が1200円で売られていて、そちらはそちらで面白そうであった。
ちょっと立ち読みした感じでは、そちらの方が僕でも理解できそうな印象で、坂本龍一さんの対談本は学生時代に一冊読んでいるし、坂本龍一さんがどういう言葉で音楽を語るのか、それなりには知っているつもりなので、理解しやすそうではあった。
吉本隆明さんの対談本も何冊か読んでいるし。
だから、というべきか、この本を今、新品で買わなくてもいいだろう、という考えがあった。
それよりか、小沢征爾さんと村上春樹さんの対談本を読んで、クラシック音楽をどのように言葉で語るのか、興味があった。

僕は写真についての本は読んできているから、わりかし、写真を言葉にすることは出来る。しかし、音楽はからっきしの素人で、さらに疎いから、音楽、音を言葉で言い表すことがどういうことなのか、イマイチ、よくわからない。
わからないなりに、小沢征爾さんと村上春樹さんの対談は読んでいて面白い。
玄人には玄人の世界がある、ということが伝わってくる。
坂本龍一さんは、わりかし、聞き手が慣れてくれば、ああこういうことかな、というのがわかるように話してくれている気がする。
そういう意味では親切な方だと思うし、教授というあだ名はそういうところからきているのだろう。
小沢征爾さんには、そういうところはない。
まぁ、そもそもが、細かいディテールなんてものは、言葉に出来ないもので、素人でもわかるような言葉に出来なくても、プロの一流の世界では問題なくやっていけるだろうな、というのは、僕でも想像できるので、とりあえず、楽しみながら、この本を読んでいくことにする。

美術館で見た200作品以上の絵画や写真、彫刻についてなどは、今日は書かないで休むことにする。
さすがに疲れた。
絵とかを見るのは、どっと疲れる。
それこそ、そういうのは、自分の写真にフィードバックできるのなら、していくことにしよう。

おやすみなさい。