最近見ているドラマのことなど。

最近見ているドラマのことなど。

今年に入り、アニメを録画して見るよりも、テレビドラマを見る機会が増えた。

カラマーゾフの兄弟、第一話、思ったよりもよかった。
これは、原作を読んでいないから、いいのだろう。
原作が傑作なだけに、両方知っていたら、違和感があると思われる。

孤独のグルメ、シーズン2を見てきて、最終回になったのが残念だった。そうしたら、シーズン1が放映開始になって、嬉しかった。
口コミで面白そうだとは思っていたのだけど、地元のテレビ局では放送していなかったのだ。
このドラマはだいたい、夕食を部屋で食べる時に、見ることにしている。
そうすると、ご飯をより美味しく食べられる。
内容はさほどないけれど、何となく見られて、面白い。

シャーロック、こちらも面白いと聞いて、レンタルしてこようと思っていたら、テレビで放送されるのを知って嬉しかった。
一話が一時間半ほどあり、映画のような内容である。
こちらは孤独のグルメと違って、何となくは見られないので、テンションが上がった時に見たいと思っている。

ライトゥミー、嘘を見抜く博士が主人公のアメリカのテレビドラマ。シーズン2から見始めた。
適度な内容と、皆口純子さんの演技が心地よい。
これぐらいのテレビドラマを日本でもやれないものかと思うのだけど、難しそうである。

クラッシュ、シーズン1だけかと思いきや、今年から、シーズン2も、テレビで放送するので、録画しているけど、内容が濃く、吹き替えではなく日本語字幕なので、なかなか見ようという気が起こらず、撮りためている状態である。
テンションが上がったら、きっと、まとめてみるであろう。
かなり質の高いテレビドラマである。

八重の桜、一話だけを見てみた。まだ、面白いのかどうか、わからないのだが、録画を続けている。題材やテーマは興味があって、綾瀬はるかも好きなので、もしかしたら、楽しみなドラマになるかもしれない。

バーン・ノーティス、シーズン4までレンタルで見た。
やっぱりマイケル・ウェスティンはいいね。
旧作になったら、シーズン5を、レンタルで借りてこよう。
こちらは、借りたらすぐにまとめて見てしまう。
僕は最高に面白いと思っているのだけど、周りからの評価はイマイチなドラマで、いつも不思議な気持ちになる。こんなに面白いのに、と。

こうして書いてみると、7作である。
バーン・ノーティスはレンタルなので、トルネで毎週録画しているのは6作、けっこう多いな。
本当は、これの半分ぐらいでいいのだけど、たまたま、面白いドラマ、興味のあるドラマが増えているので、仕方がないところ。
テレビアニメの方は、飽きてきたのと、今シーズンは、面白い、面白そうなアニメが、銀魂へうげものと、ジョジョ、もうすぐ最終回を迎えるナディアの4本で、萌えアニメはもういいかな、という感じである。
前のシーズンだったら、ヨルムンガンドがなかなかに面白かった。ああいうアニメだったら、また見てみたいものだが。
それでも、4本、あと、エスパーものをニコニコ動画でアップされているのを見て、面白そうかな、と思って、第二話から録画し始めた。GS美神を描いた漫画家の別作品らしく、作画が何となくインデックスっぽい。

録画して見ているバラエティは、アメトーークのみ。
あとは、100分名著。
トルネで調べてみると、毎週、15本ぐらい録画していて、すると、毎週、10本以上は見ている計算になる。
けっこう、テレビ番組を見ているな、僕は。

PS3YouTubeが簡単に見れるようになり、さらに、iPhoneとペアリングして、検索をiPhoneで出来るやり方がわかって、今日は、YMOの演奏を、テレビ画面で見ている。
画像の解像度はやはり悪いけれど、音はそれほど悪くない。これはいいな、と思う。
テレビ番組だけではなく、YouTubeもテレビで見れるなんて、至れり尽くせりだな。

先日、iPhoneのアプリで、FIGUREというのを見つけて、85円だったので、購入してダウンロードしてみたら、いいアプリであった。
カオシレーターよりも簡単に演奏できる、良質なリズムマシーン。
さらに、オーディオコピーの機能があって、すでにダウンロードしているiPhoneカオシレーターにオーディオペーストして、一度に演奏し、録音することが出来る方法がわかった。
あと、VOX3000という、英語を読み上げてくれるアプリを無料でダウンロードして、こちらもオーディオコピーの機能がついているから、合わせて、iPhone一台で、カオシレーターを用いて、簡単に、同時演奏をして、サウンドクラウドにアップすることが可能になった。何やら、目が眩むようである。
何だこれは。
音楽のことばかりを考えて、気が遠くなりそうであるが、カオシレーターから直接サウンドクラウドにアップする機能が不調らしく、現在、出来ないので、この機能がアップデートで回復するまでは、iPhoneの演奏には、手を出さないでおこう。

すでに、DS2台と電子キーボードが手元にあって、楽器は三台ある(ハーモニカなども合わせるともっとある)。そして、iPhoneの実際に使える楽器アプリも三つになった。
これは、ちょっと、楽器が多すぎる。頭がぐるぐるしてしまう。
確かに、それぞれの楽器には特色があって、さらに、音色が多彩だったりして、組み合わせれば、可能性はどんどんと拡張されていくだろう。
でも、こうなると、あれこれと悩んでしまって、気ままな演奏が出来にくくなってしまうだろう。
あれこれと、音の組み合わせを計算しながら演奏しないと、まとまらないのだから。
いけないいけない。
僕は音楽の素人である。音楽漬けになってしまっては、帰ってこれなくなる。

それにしても、演奏をやっていると、途方もないな、という気になる。
良質な楽器が(アプリも合わせて)、手軽に、安価に、手に入る時代であり、例えば、ギターのように、地道な練習をそれほどしなくても、それなり以上に演奏し、サウンドクラウドで簡単にアップ出来るのは、すごいことだと思う。
途方がないので、YMOの曲をYouTubeで聞くようになった。
これは、教科書代わりである。
やはり、YMOはいいな。
もともと、好きだったし、坂本龍一や、細野晴臣のCDは何枚も持っていて、今、ようやく、自分の中で、YMOになってきた、という感じがしている。

YMOの曲は、80年代までのものがいい、というファンと、今のも素敵、というファンがいるようで、聞いてみると、確かに、使っている音がけっこう違う。
前の方が、音が攻撃的だったように思う。今のYMO(今、僕は、HAS/YMOの曲をYouTubeから聞いている)の音は、柔らかく、何だろう、YMOの三人はいいおじさまになったのかな、という印象を受ける。いいおじさまたちの音楽なのかな。それにしても、この三人は、動画を見ていると、いつも仲がよさそうであった。

僕としては、DSー10と、電子キーボードだけでは、音が足りないので、DS用のソフト、エレクトロプランクトンを中古で、Amazonで注文し、実際にやってみたら、自分のやりたい演奏にしっくりときた。もっというと、しっくりときすぎていた、ぐらいに、操作が簡単で、子供から大人まで演奏を楽しめる、音を楽しめる、すごいソフトであった。
電子キーボードを新しく3000円ほどで購入して、家にあるスピーカーにつないで、奏でてみたら、音がお値段以上によかった。
DSも、スピーカーにつないだら、見違えるように、音が良くなった。
しばらくは、この三台をスピーカーにつなげて、音を楽しもう。
さきほど、風呂に入っていて、エレクトロプランクトンの録音機能を使って、家にあるカリンバの音を録音し、組み合わせたらどうなるだろうか、と、ちょっと思いついた。
あとは、小さな鉄琴を持っているから、それを演奏に組み込んだりとか(カリンバは両手でないと演奏出来ないので、他の楽器との同時演奏には向かないと思われる)。

先日、DSー10のみを用いて、演奏して録音し、サウンドクラウドに2曲ほどアップしてみた。この音も好きだな。優しい音じゃないから、今度は、優しい音を入れたいな、とも思った。
僕は、音楽としては、子守唄のような、眠くなるようなものと、覚醒するような、音のはっきりしたものと、2つやりたいな、と考えている。
時に、眠くなるのと、起きているのとを、組み合わせて、やってみたりもしている。
楽器はそれぞれ、別のリズムで、別の世界で、別の音で、それらが無理なく混ざり合うようなものがいいな、と思っている。一つのリズムを主軸にしたいのではなく、いわゆるハーモニーを重視しているわけでもない。

それにしても、改めて、iPhoneはすごい!
僕は、サウンドクラウドのアプリをダウンロードして、iPhoneから音を録音して、サウンドクラウドにアップしているのだけど、録音の音がいい。
さらに、カオシレーターを用いれば、直接、演奏をサウンドクラウドにアップすることが出来る。
つまり、iPhoneさえあれば、楽器や、スピーカーがなくても、良質な音の演奏を作り上げ、サウンドクラウドにアップすることが出来るわけなのだ。
これは、かなりすごいことだと思う。
カオシレーターなど、かなり音がいい。
そこいらのシンセサイザーにさほど劣らないクオリティがあるのではないだろうか。

音楽以外にも、iPhoneは、写真も撮れる。
僕は今、Bluetoothのキーボードを用いて、iPhoneのYahooのメール作成画面に、文章を打ち込んで、それをコピペして、ブログにアップする予定で、手軽な文章作成ツールにもなる。
動画も撮れる。
多分、他にも、いろいろとやれることがあるだろう。
クリエイティブに関して、iPhone一台で、工夫次第で、手軽に、安価に、便利に、それなり以上の高いクオリティのものを生み出すことが出来る。
本当にすごいな。

僕がiPhoneであまり写真を撮らないのは、どうしてなんだろう。
また、演奏に関しても、まだiPhoneでそれほどやりたい気持ちが起こらないのはどうしてなんだろう。
もしかしたら、便利すぎるからかもしれない。
いや、ただ、慣れていないだけのかもしれない、そういうやり方に。

カメラに関しては、どうやら、撮影の操作のレスポンスが、今の自分とは合わないような気がしている。
デジタルカメラの方が、電源を入れて、構えて、ピントを合わせて、シャッターを切れるまでの時間が、若干早いように感じられるから。
あの、タッチパネルでピントを合わせて、シャッターを切るのは、どうも慣れなんだろうけど、しっくりこない。
これは、ディスプレイ上のボタンではなく、アナログのボタンの方がいいな。

ああ、もしかしたら、手触りの問題なのかもしれない。
僕が、文章を打ち込むのにiPhoneを用いることに抵抗がないのは、Bluetoothのキーボードで文章を打っているからかも。
利便性の問題もあるけど、iPhoneのみで、長い文章を打ち込む気にはまったくならないから。
長いメールを打ち込んで送る時も、僕は自宅にいるときは、Bluetoothのキーボードを用いることにしている。
外にいる時は、そもそも、長いメールはまず送らないし。

僕が使っているBluetoothのキーボードは、DS用のポケモンのタイプ練習用のソフトに付属しているもので、このキーボード目当てで半年以上前に買ってみたのだけど、かなり気に入っている。
やるな任天堂、という気持ちである。
Amazonで見ていると、今でも、付属品のキーボード目当てで買う人が多いようで、売り上げランキングの上位をキープしている。
このキーボードは、小柄な大きさといい、キーをタイプした感触といい、使いやすく、見た目にもセンスのいいキーボードである。
電池の持ちもいいし(購入してから一度も電池を交換していないんじゃないかな)、もし壊れても、買い直すのに躊躇しないぐらいの値段で、気軽に使うことが出来る。

先日、友人のゆしらくんとスカイプで朝方まで話していて、近頃は文学の話よりも、音楽の話と、写真の話になる。
これは、今まで、ほとんど音楽の話が出来なかった僕と、ほとんど写真に興味がなかったゆしらくんの、双方の心境の変化の結果だろう。
ゆしらくんが、YAMAHAのアンプを新しく購入して、スカイプで、彼のギター演奏を聞いてみたのだが、音がかなりよく、また、当然、彼のギターは、レスポールなので、楽器自体の音がよく、僕の電子キーボードの音が霞んで聞こえるほどであった。
後日、多分、その組み合わせで録音して、サウンドクラウドにアップしていた彼の洋楽ロックのコピーを聞いて、音の良さにびっくりした。
今までの彼がアップしてきた演奏の音よりも数段よくなっていた。
これは、僕にも言えることで、今までは、スピーカーにつないで演奏しなかったのだけど、今年に入り、スピーカーで音を出して、その音をiPhoneで録音するようになって、音が明らかによくなった。
音がいいというのは、耳にとって、幸せなことだ。
演奏していて、聞いていて、心地がよくなる。
まず何よりも、演奏していて、気分がいい、というのは、重要なことではないだろうか。
だからといって、音の良さを追求していったら、今の環境では我慢出来なくなってしまいそうだ。
よりよい楽器、よりよいアンプやスピーカー、などなど、上を見ればキリがない。
ここは、自分の身の丈にあったもので、楽しみながら、発見しながらやっていくのが大切なのだと思う。
確かに、いいものはいい。僕も、ゆしらくんが買ったアンプが欲しくなった。彼が、もしも、YAMAHAのアンプを鬱陶しく感じ始めたら、僕にプレゼントして欲しいぐらいの気持ちである。
彼の話を聞き、音を聞いてみただけで、実物を見なくても、これがいいアンプであることはわかる。
ゆしらくんの、モノの選び方のセンスは、けっこういいと、以前から感じている。
彼は、iPhoneではないスマホを使っていて、疑問に感じていたのだけど、恋人がiPhoneにして、いじらせてもらった結果、さっそくiPhoneに機種変更したのは、当然のことだろう。
彼はカメラも欲しいようで、NikonのV1がいいそうなのだが、こちらのデジカメも、よさそうなカメラである。
そういう直感と、情報収集の能力を、彼は有している。

今朝、録画していた、100分名著を見ていた。
今回から、般若心経を取り上げていて、見ていて面白かった。
五薀すなわち空という思想は(般若心経はとても優れた思想書でもある)、つまり、色即是空、というのは、認識論であり、そうなると、写真論につながっていく、と僕は考えていて、以前から、般若心経には興味があって、ちょっと調べたこともあるのだけど、改めて、テレビ番組で見ていて、面白かった。

化身、という考えに至るようになったのは、僕が25歳ぐらいの時で、23歳の時には、写真を通じて、かなり強く感じるようにはなっていた。
そこから、頭の中で、修正を加えていって、文章で書けるようになったのが、確か、25歳ぐらいの時だっただろう。

化身というのは、目にしている今の姿とは仮初めのものだ、ということである。

ものには、既成概念が伴う。
自分、他人、世界、それらには、すでに、こういうものだという約束事が存在していて、こういうものとして存在している。
しかし、存在の本質は、こういうもの、だけではない。
僕は、誰かと関係していて、お互いに、こういう人だと思って、認識しあっているけれど、僕にしても、誰かさんにしても、それは、表出した一面、一部分であって、全体ではない。
例えば、僕とゆしらくんは、以前だったら、二人で話していて、写真と音楽の話はしてこなかったし、出来なかった。二人にとってのつながりは、詩、文学だったので、もっぱら、そのことを話してきたのだけど、最近、僕は楽器演奏をするようになり、また、ゆしらくんは積極的に写真を見て考えるよう(たまに撮影もしているらしい)になったから、写真と音楽の話をするようになった。
これが、つまるところ、関係性というものである。

彼は、YAMAHAのアンプを購入した。
僕は、その音を聞き、よいアンプだと認める。
これが二人の関係性であって、もし、僕がYAMAHAのアンプがどれほどいいものかわからなければ、彼はアンプの話をしていて、もどかしくなるだろうし、聞いているこちらももどかしく思うだろう。

100分名著は、まだ一回目で、空とはどういうことなのか、やっていないので、そのことは書けないのだけど、存在の本質は虚だというのは、僕にもわかることである。
存在は、関係性によって、成り立っているもので、その関係性を取り除いていくと、残るものは何もない。つまり、虚である。
この世はすべて仮初めで出来ている。
突き詰めて考えていけば、認識とはそのようなものになると、僕は考えている。

では、写真に照らし合わせて考えてみるとどうなのかと言えば、写真とは、いつだって、仮初めのものしか撮れないわけで、化身と言っているのは、写真とは化身でしかないのではないか、と、これは僕なりの極論ではあるけれど、化身であることを否定的に捉えているわけではない。
AはAであると同時に、Bであり、Cであるかもしれない。
僕は、AをAとして撮りたいのであって、その中には、BやCもある、というそれだけのことではある。
存在とは多義的なものであり、なおかつ、重曹的で、目に見えないものも含まれてはいる。

僕は、色(肉体)を否定しない。
否定しては、写真は撮れない。
結局、写真とは、色なのだ。
だから、写真は、思想ではないし、そういうものよりか、もっと、下世話なものである。

また、見る、という行為には、つまり、認識には、空間と時間の二つの軸の交流、もしくは、混沌がある。
人は、認識する時に、空間と時間を、混同し、錯覚するものなのだ。
ここいらのメカニズムに僕はさほど詳しくはないので、専門的な説明は出来ないのだけど、見るという現在に、過去と未来が混ざり合っている。

「過去はいつも新しく、未来はいつも懐かしい。」

とは、森山大道さんの有名な言葉で、それはまさしくそうなのだ。

昨日、仕事と仕事の合間に時間があったので、500枚ほど撮影した。
さきほど、パソコンに写真のデータを取り込んで、ちょっとパソコンの液晶モニターで見ていた。
先月の写真と違って、また変わってきたな、と感じられた。
一月の日差しは強く、斜光である。
今月の、今のところの写真は、光が強いのだけど、柔らかいようだ。
これは、主に、晴天の日に撮影をしている、というのも関係している。
先月の写真は、見ていて、しんどくなるところがあった。
今月の写真は、しんどくはないけど、見返していて、怖いな、と感じた。
この怖さがどうしてなのか、まだわかっていないのだけど、この世とあの世が混ざり合っているような、両手を横に広げてウェルカムしている姿勢をして、「さあ、おいで」と見る側に言っているようで、付いていったら、どこか別の世界に連れていかれてしまうような、そんな印象なのかもしれない。