「化身」を作ったあとのこと。

ゲームでもしてから寝ようと思いながら自分の先ほど打ち込んだブログの文章を読み返していて、思い出したことがあったので、そのことを書いておく。

絵描きのおじさんに、「化身」が終わったら次はどうするんですか? と聞かれたので、必要であれば撮りますし、必要ではなかったら撮らないでしょう、と応えた。
僕が今、「化身」を撮っているのは、それをやらなかったら生きていられなかったからで、今は、以前に比べて、生きやすくなっていると感じているから、撮る必要がなくなったら、別に写真を作品で撮る必要はないだろう。
これは自分の問題で、僕はただ、自分が生きる為に「化身」をやっているに過ぎない。
だから、これは趣味であって、大仰なものなんかではない。
一応、テンションを保つ為に、賞に応募する、と最初に決めて、その締め切りに向けて、制作を進めているだけのことで、そのペースは自分で決めている。
そして、そのペースは概ね順調に進んでいる。

もし、最優秀賞をとったら、写真集を無料で作ってくれる。
その写真集のおかげで、写真作家として、仕事の依頼が少し来るようになったら、その為の写真を撮ろうとは考えていて、だけど、最優秀賞をとれるとは考えていないし、とれなくてもかまわないので(とれないことの言い訳を出来るだけしないように、自分なりに全力で取り組んでいるつもりではある)、最優秀賞に選ばれなくて、自分の中で写真を撮る必要が、生き死に関わるレベルでなくなっていたら、撮らなくなったとしても、構わない。

絵描きのおじさんも、きっと、自分の生き死にのところで、絵を描いて、個展をやっているだろうな、と感じる。
そういう、剥き出しの必死さを感じるから。
そういうのは、わかる人にはわかることだし、わからない人にはずっとわからないことである。

本当のことを言ったら、生きていたくないのなら、別に無理をして、生きている必要なんてないのである。
そこまで考えて、それでも生きることを選択している人間のことは、そうではない人間には、多分、一生、共感し、理解することなどできないだろうな。

だから、写真を撮りたくなくなったのなら、一生、撮らなくても構いはしないのである。