写真について、など。

写真について、など。

白光を更新した。
パソコンが壊れてしまい、その壊れたノートパソコンの中に、「化身」のプリントセレクトデータがあったのだが、これも失われてしまったから、外付けHDDに保存してある「化身」のセレクトデータ(こちらは白光にアップする為にセレクトしたもので、大まかなセレクト)を見返して、去年の6月ぐらいから10月まで、見返して、新たにセレクトし直した。
先月に撮影した分、そして、過去の写真をセレクトし直したものと、二つに分けて、白光にアップした。
トップの音楽は、KORGの、iPhoneのアプリ、カオシレーターで自分で演奏して録音したものを、MP3に変換して、アップ。

今日は、休日。
昼間に、近所の電気屋に行って、マッサージチェアで気持ちよくなった後に、電気屋をウロウロして、最後に、電気キーボードのコーナーに行った。
CASIOのものしか置いていなかった。
安いものは4000円ぐらい。
高いものは100000円ぐらい。
高いもの、グランドピアノのデジタルピアノが弾けるように設置されていたので、電源を入れて、鍵盤を叩いてみたら、思いのほか重い、リアルだ、家にある電子キーボードと違って、一つ一つの鍵盤が大きいので、弾きやすい、叩く強さによって、音色が変わる。
いいなぁ、すごいなぁ。

やはり、アナログシンセサイザー、欲しいなぁ。
仕事用のサブカメラにデジタル一眼レフカメラを購入しなければならないから、そのうち、中古屋に行った時に、中古の楽器も見てこよう。
10000円以内のアナログシンセサイザーでいいんだけど。
それだったら、KORGのモノトライブでいいかな。
どちらにしても、シンセサイザーは、よほどの出物がない限り、すぐには買わない予定。
まずは、iPhoneカオシレーター、DSのDSー10で楽しくやろう、電子キーボードも家にあるし。

先日の仕事と仕事の合間に時間が空いたから、職場の近くの、大きなブックオフに行ってきた。
仕事用のジャケットを中古で1900円で購入。
写真集のコーナーに行ったら、奈良原一高さんの「円」がなんと250円で売っていたので、みかちゃんへのプレゼントに購入した。
「円」は僕はすでに持っている、いい写真集だ。
パリ、魚眼レンズで撮影したもの。
奈良原さんは、あんまり日本で評価されていないようで、こういう出物がたまに出てくる。

「円」の近くに、僕の知っている写真家の写真集が置いてあって、あっと思って、手にとって見たけれど、ぜんぜんよくなかったし、750円したので、買わずに元の棚に戻して置いた。
この知り合いの写真家は、写真学校の先輩で、現在は先生をしているのか、ファッションフォトグラファーで、技術的には僕なんかよりも持っている、フィルムで撮影して、自分でプリントをしているので、色合いは、工夫していることが一目見て分かるのだが、いかんせん、内容がない。
内容がないことを、今更何を言っても無駄なことだろうから、殊更、言うつもりはないけれど、どうしてこうも小さく事象を切り取って、まるで決めつけたような写真を撮るのだろうか、そのことが不思議であった。
小さな事象を小さく撮ることは、おかしなことではない。
それを言うなら、小さな事象を大きく撮ることは、おかしなことではある、そういうのは、誇張であろう。
写真にはどうしても誇張がある。それを出来るだけなくすこともまた技術であり、抑制でもある。
わざと誇張させることも、技術であろう。
撮るにたりないことを、わざわざ選んで撮影し、そこに写真の技術を注ぎ込む、そこで浮き彫りにされることは、撮り手の技術であって、写っている事象ではない。
僕が見たいものは、写っている何かであって、撮り手の技術ではない。
この写真集を見たのは、いい勉強になった。

新たにセレクトし直した写真は、今まで、プリントをしなかったものが半数以上で、どうしてプリントしてポートフォリオに入れなかったのか、その理由は、フォトコンテスト調のように僕には感じられるからで、撮り手の小癪な媚が鼻について仕方がなかったからである。
それで、今まで、省いてきたのだが、改めて見直して、これはこれでいいじゃないか、と思ったので、セレクトに加えることにした。
これは、撮影してから一年以上が経過している、ということもあるだろう。
時間の経過によって、撮り手の思い込みなどが薄れるのだから。
また、「化身」のレンジ、範囲を広めてもいいじゃないか、と思った。
今まで、僕は、限定的に「化身」を制作してきた。
見るもの、見たこと、それらを、限定して、作品だと言い張ろうとしてきた。
先月ぐらいから、もうなんだっていいじゃないか、と思うようになってきて、今まで意図的に省いてきた事象を撮影しようと心がけてきた。
かわいらしい猫、変な格好で座っている犬、そういうものも入れてもいいじゃないか、それで、かわいい、とか、変なの、とか、そういう見る側の反応も受け入れてみよう、と。
いいわるいを決めつけずに、作品に縛られずに、もっと自由に、やってみてもいいじゃないか。
今まで以上に、小さな事象は小さく撮ればいいし、目の前の事象をただ、見つめて、撮影しようと思うようになってきた。

今回の新作は、トップに使用した紅葉の写真と、赤い小さな花たちの写真と、橋の上から撮影した夕暮れ時の写真の三枚が、いいんじゃないか、と感じている。
これらの三枚は、撮った時に、手応えのようなものがはっきりとあった。
特に、紅葉の写真は、あの風景を見た時に、あっ、というのがあって、工夫をせず、出来るだけ、見たままを写真で再現している。
あれは、実際に、あれがあったのであって、作り込んだことではない。
それを言うと、「化身」は、だいたい見たものを再現しようとしているのであって、作り込んだりはしていないことが多い。

「化身」はRICOHのR8と、最近は、R10というデジタルコンパクトカメラで撮影して、デジタルでデータを修正せずに、撮ったままの状態でプリントまで行っている。
それでも、写真をやっている人たちからは、これは何を撮ったのか、とか、どういう風に撮ったのか、聞かれることがある。
これは、写真を知っている人の方が、不思議に思うようだ。
でも、こちらとしては、全てオートで、シャッタボタンを押しているだけなのだけど、まぁ、やはり、撮影時に、技術的なコントロールはしているし、よりよく目の前のものを見ようとつとめてはいる。
いいカメラを使えば、いい写真が撮れるわけではない。
ただのデジタルコンパクトカメラでも、写真をやっている人たちが見て、どう撮ったのか、不思議に思う写真を撮ることは出来る。

「星の子どもたち」、今年中に仕上げる予定だったが、どうやら、今年中では終わらなさそうだ。
量も、当初は、100で終わる予定だったのだが、これは200ぐらい必要だな、と感じ始めている。
せめて、80の倍の160ぐらいの数を積み重ねないと、完成しないだろう。
これは、時間のかかることだし、そういう内容のように思われる。
時間をかけなければならないことは、焦らずに、時間をかければいい。
ということで、「星の子どもたち」は、長期戦に、来年中ぐらいに仕上げればいいな、と考えているところである。

近頃は、しきりに、自分の不甲斐なさ、未熟さを身にしみて感じ入っている。
他人の写真集を見て、これだったらたいしたことないな、とはっきりと思ってみたところで、それは、他人のことであって、自分のことではない。
そんなことは、取るに足りないことだ。