覚書 6

覚書 6

今日は、新しいアルバムのジャケット写真を決めて、暫定的にデザインをして、曲順、曲のいくつかのタイトルを修正した。

私の頭の中では、新しい、音楽のイメージが湧き始めていて、ソロ五枚目のアルバム製作に着手する気配が出て来ている。

今回は、アルバム全体の完成度を高くしようとは思わなかったし、音質も良くはない。
それは、カオスパッドで加工する時のやり方がまずかった、というのもあるだろう。
次回は、音が伸びるように、音質も良くして、今までで一番の完成度のテクノのアルバムを作りたいと思っている。

カオスパッドを手にいれて、音楽製作でやれることが増えた。
さらに、完成度を増していくことも出来そうで、クオリティを高めたい気持ちになっている。
現在の予定では、次のアルバムはトータルで八曲ほどで、すでに三曲は出来ているので、残り五曲ほど製作すれば、次のアルバムが完成しそうである。

次から次に、音楽が、曲のイメージが湧いてくる。
それが私の中で止まったことがない。
だから、曲を作り続けているのだが、ふと、かなり虚しくなることがある。
アルバムを作ってどうにかなるのか、と。
これをきちんと評価出来る人間は、私の周りではいなさそうだし、これ以上、レベルが上がれば、当分の間、私は孤独感に襲われるだろう。
そう考えると、虚しくなってくる。

最近は、少し、サウンドクラウドの私のアカウントのフォロワーが増えて、ツイッターでも、音楽関連のアカウントからフォローされたり、私の曲へのリンクをお気に入りに入れてくれる人が少し現れている。
そういう、微妙な変化というものは、現れているのだが、それが何だろう、と思う自分もいる。
つまり、私はやはり、音楽への関心、興味、思い入れが薄いのだろう。

それでも、次のアルバムを作りたくなってきている。
それは、今回が、現状で、完成度の点で不満があるので、今の私が可能な限りの高い完成度のアルバムを作りたいと感じているし、それが、自分の中で、自然の摂理だとも感じているからである。

別に、どうしてもやらなければならないことではないし、どうしてもやりたいことでもない。
私は、音楽家など目指していないし、私の音楽をきちんと評価出来る人間がそうそういるとも思えない。

今日、中原昌也さんのソロユニットの音楽をYouTubeで聞いて、いいな、と思った。
ああいう感じも取り入れて、他にもいろいろと参考にしながら、曲を作りたいな、と思った。
次回の曲作りは、ちょっと間を開けて、まずは、いろいろなテクノの曲を聞いたりして、充電期間を置きたい。
と言っても、せいぜいが一ヶ月で、秋の終わり頃には、音楽製作に着手するのは目に見えている。
私の中は空っぽではなく、新しい曲のイメージがだんだんとはっきり見え始めているのだから。

実際、今のクオリティを維持することは、私には容易い。
すぐにでも、新曲を作ることは可能だろう。
それが、決して悪いものにはならないことも分かっている。

そうだな、人様のテクノミュージックを聞いて、楽しみたい、という気持ちがあるのかも知れない。
そうしないと、虚しくなってくるから。
ああ、こういういい音楽があるんだな、と噛みしめて、音楽はいいものだなぁ、と思えないうちに音楽製作に着手すると、イヤになりそうな予感がある。
どちらにしても、私は孤独で、どうせ孤独ならば、楽しい孤独にしていく必要を感じている。

次回は全曲、テクノミュージックで、私ができる限りのクオリティを維持し、それを結実させたい。
多分、年内には新しいアルバムが完成するだろう。
ソロ四枚目のアルバム「愛と憎しみ」は、再来週中には完成させるんじゃないかな。
もうほとんど完成しているようなものなので。