写真について 沸騰篇 第四回

写真について 沸騰篇 第四回

今回も音楽について書いていこうかと思う。
まず、結論を述べると、新しいユニットは、一旦、保留にして、次のアルバムは、僕の名義で、ゆしらくんは、ゲスト参加、という形にしようかと考えている。
それは、音楽性の違い、ではなく、今のゆしらくんでは、多分、難しいと感じているからだ。
そのような危惧は最初からあったのだが、新しいゆしらくんのブログを読んで、ああ、これは、写真ではなく、自身の音楽について語っているのではないか、と思われるフシがあった。
簡単に述べると、僕の音楽は事象を扱っていて、ゆしらくんの音楽は事物を扱っている、そのような違いがある。

僕は、今日も、二人の新しい曲を、部屋で仕事をしながら、一通り、聞き直して、ゆしらくんがギターで付け加えてくれたダブルの曲は、気に入っているので、新しい音楽の最初に入れたいと思った。
別に、ゆしらくんのギターセンスにケチをつけたいわけではなく、わざわざ辛い思いをするぐらいならば、無理に続ける必要はないだろう、と思う。

一日中、オリジナル音楽のことを考えて、混乱を生じるのならば、考えなければいい。
それならば、毎日、三十分でいいから、カメラを持って、外に出て、撮影をした方が、よほど健康的であろう。
何も考える必要はない。
自分の目で見る、ということをすればいいし、ゆしらくんは、写真に向いている。
ニコンのミラーレスカメラを使うようになって、ゆしらくんの写真の質は変わった。
僕は、僕のポートフォリオの写真展をすると考えた時に、ゆしらくんの写真ならば、一緒に展示をしてみたいものだ、と思っている。
なぜならば、ゆしらくんの写真には、僕の写真にはない暖かみ、ユーモア、そして、綺麗に撮っているからである。
そのような、僕の写真にはない良さがあって、それは、互いの写真作品を損なわせることなく、寄り添うことも出来るだろう。

思えば、音楽というのは、ゼロから作っていく。
僕の場合、音の音色と、音色の組み合わせ方、そして、一曲のトータル時間をまずイメージして、まとまったら、勢いに任せて、演奏をして完成させている。
それは、言葉で考えているわけではない。
頭の中で、音楽が完成されていくだけなのだ。
現在、僕の頭の中には、2曲、イメージが固まりつつある。
その、完成までの過程がシンドイのならば、やめた方がいいのであって、僕は、それほど、しんどくはない。

僕の音楽は、空間系(アンビエント)が多分、主軸になっていて、だから、いくつものドラムパターン、ループを組み合わせて、曲を作ることが出来るのだろう。
共有、というタイトルの新曲は、三つのループをまずiPhoneのアプリを使って制作して、それを、iPhoneカオシレーターで、演奏
したものを、リアルタイム録音して、そのまま、サウンドクラウドにアップしている。
三つのループ、シンセのノイジーな一つのパターン、共有、と英語で発生する女性の声をそれぞれ作って、それらを組み合わせて、共有という曲は出来上がっている。

一つの曲にまとめる際に、ツインさんの曲と、自身のスーパーノバをイメージしてみた。
手法としては、スーパーノバと同じなのだが、細かいところでの完成度は、今回の方がよくなっているだろう。
出来上がってから聞いてみて、ああ、これは、宇宙祭りだな、と思った。
どうやら、僕の心の中には、宇宙祭り、なるものが、あるらしい。
はるか銀河で、一年に一度行われる、宇宙祭り。
そこでは、宇宙人たちが、集まって、祭りが行われている。
共有という曲の出だしは、徐々に宇宙祭りに近づいている音の遠近が出ている(意識して演奏をしたわけではなく)。

僕の中では、どうしてだか知らないけど、宇宙がある。
その宇宙が、音楽に現れてしまう。
それは、現れてしまうのであって、現したい、と、一度も思ったことはない。
ただ、僕は、自分の心の中にある音を、音楽を、率直にやっているだけなのだ。

ゆしらくんの写真は、ゆしらくんが自身のブログで書いているようなものではない。
つまり、一つのものだけで完結しているような写真はあまりない。
ただ、僕との違いは、僕は、写真で破綻を恐れてはいないけど、ゆしらくんは、破綻させないように、要素がまとまった写真を撮っている。
従って、綺麗な写真になる。
それは欠点ではなく、カメラを変えたことによって、ビジュアルのクオリティ(描写力)が上がり、色味のバランスと、撮る上での整合性がマッチして、写真の質が変わったのだろう。

ゆしらくんの写真には、悩みがない。
しかし、ゆしらくんのギターには、悩んだ後が伺えてしまう。
悩むことによって、作品本来の勢いを削いでしまう。

話は簡単なのだ。
人は常に目を開き、何かを見ている。
同様に、人の耳は、いつも音を捉えている。
僕はいつも見ているものを、自分の目で見えているように、写真で撮ろうとしているだけだし、いつも生活の中で聞こえている音を、音楽という形でまとめているだけなのである。
そうやっていたら、どういうわけか、宇宙祭り、なるものが、僕の中で行われている、ある、ということが分かってきた。
それが僕のオリジナリティなのかも知れないし、少なくても、ツインさんの曲には、宇宙祭りは感じられない。

次のアルバムは、Solidarity、というタイトルにして、現在、サウンドクラウドにアップしている、元々、ゆしらくんのギターを加える予定の曲を含めて、そして、ゆしらくんのギターが加わったDoubleDareという曲を入れて、4
曲、アルバムに入れる予定で、あと、僕は、4曲を作って、ゆしらくんが今後、ギターで僕に曲を提供してくれるならば、1曲を加えて、合計9曲、60分以内のアルバムにしようかと考えている。
ジャケットの写真も決まって、タイトルも決めたので、すなわち、それは、僕の頭の中ではだいたい、完成したようなものである。
あとは、アルバムという形になるように、曲を作り、まとめていくだけだ。

今回は、RECシリーズのような、簡単に組み合わせた音を中心に、
あまり複雑な曲は少なくしようかと思っている。
どうも、僕が音楽で本気になると、友人たちの評価があまりよくないようなので。
RECシリーズなんて、いくらでも出来てしまうから、やっている側としては、リハビリ程度のものでしかないのだけどね。
そういう塩梅は、やはり難しい。

もともと、僕が苦手な音楽を始めたのは、とある女友達がきっかけで、だから、次のアルバムのタイトルを、共有、にしたのだが、その女友達のウケは多分、よろしくなく、ゆしらくんのウケはよろしいのではないか、と、完成する前から予想している僕がいる。